クシナガラからネパール領のルンビニに向かいます。

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朝食はホテルでビュッフェ形式

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Img_6845こんな感じで選択
Img_6846朝食後少し時間があったので外に出てみました。
Img_6847子供達が遊んでました。髪の毛のお手入れをしている親子?もいました。
Img_6850ホテルの外観はこんな感じです。
Img_6851歩いて大涅槃寺に向かいます。道中の景色
Img_6852なんかこの看板面白くないですか?
Img_68534人乗りはは当たり前です。私インドで最高6人乗ってるの見ました。
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Img_6857ホテルから15分ほど歩いて大涅槃寺に到着。
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大涅槃寺の堂内には、19世紀アレキサンダーカニンガムが近くのヒラニヤヴァティー河の河床から発掘した、全長6,1メートルの涅槃像が安置されています。この涅槃像は5世紀グプタ王朝期の作品で、この時代は赤砂岩に仏像を刻んでいたため、もともとは赤色を呈していましたが、仏滅2,500年の大祭の時、ビルマ人仏教徒により金箔が施され現在の色となりました。
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涅槃を直感されたお釈迦様は、ラジギール(王舎城)を後にして、最後の旅に出発されました。ナーランダ・パータリプトラ(パトナ)を経由しガンジス河を渡り、リッチャビ族が治めるバイシャリに到達した時、遊女アムラパーリと出会い、彼女から食事のもてなしをうけます。直後にリッチャビ族の貴族達もお釈迦様への食事の接待を申し出ましたが、先に申し出があったアムラパーリのもてなしを受け、供物の価値は施主の身分・地位に関係がない事をお説きになられました。この食事の後、お釈迦様は激しい苦しみに襲われ、3か月後に涅槃に入られる事を、悪魔ラーマと約束しました。その後も北への旅は続けられ、クシナガラ郊外のパーパという村に到着し、一行はマンゴの木の下で休息をとりました。その時このマンゴの木の持ち主チュンダという鍛冶屋が、お釈迦様一行に料理の供養を申し出ました。この料理についてはキノコであったという説と、豚肉であったという説があります。この供養の後、お釈迦様は再び激しい苦しみに見舞われました。お釈迦様はその時、涅槃はチュンダの責任ではない事、成道の前の供養(スジャータによるミルク粥の供養)と涅槃の前の供養には特別な意味がある事、をお説きになられました。お釈迦様は激しい苦痛の中、一刻も早くクシナガラに到着する事を望み、残り20キロの道を急ぎました。
 いよいよクシナガラに到着されるとお釈迦様は、アーナンダに「2本の沙羅の樹の間に、頭を北にして床を敷いてほしい。私はつかれた。横になりたい」とお伝えになられました。そして大涅槃へと入られたのでした。
 お釈迦様の涅槃の時、沙羅の樹に時ならぬ花が咲き、花弁がお釈迦様の上に舞ったと伝えられます。沙羅の花は例年3月中旬に咲くので、北伝仏教の大涅槃の日2月15日からすると、1か月の早咲きという事になります。「源氏物語」の『祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす』との一節から、沙羅双樹という種類の樹があるとの誤解がありますが、沙羅双樹とは2本の沙羅の木を意味します。また、「頭を北にして」と求められたのは、クシナガラの位置から北の方向に故郷ルンビニがあったためで、父・母に足を向ける事はできないとの意味が込められていました。これが北枕の習慣の始まりだといわれます。
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謝罪するチュンダImg_6869最後の弟子スバトラ
Img_6870足元の下に悲しみに溢れるアーナンダ
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みんなで理趣経一巻お勤めです。
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Img_6866お経を終えた後、係員の方が柵の内側に入れさせてくれました。
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大涅槃寺正面にはお釈迦様の時代のものではありませんが、沙羅の大木が繁ります。
Img_6874昔のお寺の跡
Img_6875みんなで記念撮影。
Img_6883その後、大涅槃寺から歩いて3分位の所にあるお釈迦様が最後に説法をした地へ移動。移動中にいたインドの子。歌を歌っていました。
Img_6887入り口です。
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お釈迦様は最後に「一切のものごとは滅びる。限りある時間を大切にして、修行に励め。法をよりどころにせよ」と述べられて息をひきとられました。
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精舎の中には11世紀パーラ王朝時代の降魔成道像が安置されています。
Img_6895その後釈尊最後の説法の地から荼毘塚(ラマバル・ストゥーパー)へバスで移動。約3分ほど
Img_6897入り口で歌を歌っている人が居ました。
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お釈迦様入滅後、クシナガラを治めるマルラ国では7日間礼拝が行われ、人々は花や供物を持ってやってきました。やがて、お釈迦様の遺体を荼毘に付そうとしますが、不思議な事に薪に火をつける事ができません。人々はお釈迦様の弟子カーシャパが、そこに居ない事に気づきます。
 カーシャパはお釈迦様の弟子になるまでは、火を崇拝する有力なバラモンで、大勢の弟子を従え、常にお釈迦様とは一線を画していました。ある時お釈迦様が、神通力で大雨を降らせ、尼蓮禅河を氾濫させました。お釈迦様がその河に入り横切ろうとします。その姿を見たカーシャパの弟子は、お釈迦様が溺れたと思い、カーシャパに報告しました。カーシャパは船を出して確かめにいくと、お釈迦様は濡れる事なく、河の底の土を踏みながら河を横切っていました。やがてカーシャパもお釈迦様の弟子となります。奇跡のお告げにより、お釈迦様の涅槃を知ったカーシャパは駆けつけ、カーシャパの到着と同時に薪に火はつきました。

 かくして火葬は無事に終わりましたが、火葬の結果残った舎利を、クシナガラのマルラ族は城内の精舎に納め、他国からの舎利分配の要求に応じようとはしませんでした。この事にお釈迦様と縁のあった諸国は怒り、戦争が起こりかけましたが、ドローナというバラモンがお釈迦様の非暴力の教えに基づき、8国で平等に分配するよう仲裁を行い、舎利は8国に分けられ持ち帰られました。このお釈迦様火葬の場所が荼毘塚(ランバルストゥーパー)です。

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Img_6903日本から持ってきたお線香をお供えしました。
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Img_6915みんなで般若心経と舎利禮をお唱えしました。
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Img_6910記念撮影
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荼毘塚の後の予定は昼食なんですが、まだ時間があったのでミャンマー寺院(ビルマ寺院)まで歩いて行ってみる事にしました。途中かわいい光景を発見。
Img_6917インドで初めて飼い犬発見しました。
Img_6918ミャンマー寺院(ビルマ寺院)です。
Img_6919キンキラキンです
Img_6921ホテルに戻る途中の写真。ホテルまでは約15分
Img_6922ピーナッツです。日本のピーナッツより粒が小粒です。
Img_6923兄弟かな
Img_6924Img_6925ホテルの前で手を合わして阿弥陀ポーってリズムに合わせて歌われちゃいました。
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Img_6927昼食はこんな感じ
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Img_6931こんな感じで選択
Img_6932バスでルンビニ向かいます。途中なんか賑やかな集まりがありました。
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Img_6934集まりの理由は、豚の取引でした。煙が出てるのは豚の丸焼きを作ってました。本来インドの人は豚肉を食べないはずなんですが、ガイドさんいわく、ハリジャンの人は食べると言ってました。
Img_6936途中インドの大地でトイレ休憩。
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Img_6939綺麗な花が咲いてました。
Img_6938煙が出ているのはサトウ工場です。
Img_6941これはレンガ工場
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Img_6944チーク材の森です。猿がいました
Img_6955途中踏切に引っかかったのでバスを降りて写真撮りました。
Img_6956ここは片道2車線ではありませんが、少しでも早く行きたい車が右側に列びます。反対側もこんな感じで、遮断機が開いたらどうなるかはわかりますよね。インドは一言で表現してと言われたら私は「めちゃくちゃ」と言いますね
Img_6958列車が通り過ぎました。
Img_6957今にも崩れ落ちそうな屋根。頭上注意です。
Img_6965ごっついマネキン
Img_6966自転車屋
Img_6967八百屋
Img_6970また踏切にひっかかっちゃいました。
Img_6985仙人みたいでしょ
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Img_6987_2途中チャイ休憩。
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Img_6990こんな所でも食べられます
Img_6992上から見えた風景
Img_6991天ぷらを食べました。
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Img_6995休憩後ネパールに入る前に2カ所ヒンドゥー教の寺院によりました。
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Img_6996お寺の周りはこんな感じ
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Img_70012カ所目のお寺
Img_7002お寺の中はこんな感じ
Img_7003これは何かといいますと、男性器と女性器を表してます。これ自体がシバ神だそうです。
Img_7005お寺の周りにいた子です。となりのトトロにでているカンタが自転車で登場する場面みたいでしょ
Img_7006インドとネパールの国境付近に着きました。
Img_7008トラックの下でお母さんがおっぱいあげてました
Img_7009国境付近にはいろんな人がいます。
Img_7013サリーとか売ってる店も結構あります。
Img_7015ピーナッツ売ってたので買っちゃいました。確か70ルピー
Img_7024インドのイミグレーションです。
Img_7014インドの国境
Img_7016インドとネパールの中間地点です。
Img_7017綺麗な夕日がちょうど見えました。
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Img_7022ネパールの国境です。
Img_7018ネパールのイミグレーションです。
Img_7019ネパール側にあった看板
Img_7027ネパールにいた子
Img_7034飴をあげました
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Img_7046バスに乗っても、もっと下さいといってきます。
Img_7037今日泊まるルンビニ法華ホテルに到着。お部屋は014号室
Img_7072お部屋にはトイレがなぜか二つありました。
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Img_7047洗面台
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Img_7070お部屋にお風呂もあります。
Img_7049畳の上で寝られますよ
Img_7050蚊取り線香もあります。
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Img_7051日本茶セットもありました。
Img_7068日本ぽいでしょ
Img_7052お部屋にあるお酒
Img_7064価格表
Img_7062部屋には浴衣もありますよ
Img_7071夕飯はホテルで日本食です。
Img_7055大浴場があります。これは男風呂。今日は男風呂は使われて無く、時間帯をずらして女性風呂を使用しました。
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