今日の起床も早い。5時15分起床。まだ真っ暗いなかバスに乗って釈尊が晩年止住説法した霊鷲山を目指します。バスを降りてエスコートしてくれる警察官と一緒に20分以上暗い道を山登り。きつかったです。
なぜ警察官が同行するかというと、山賊が出没するからです。霊鷲山につくと辺りが少し明るくなってきました。ここで般若心経秘鍵をお唱えします。般若心経秘鍵の中で空海(お大師さん)夢のなかでこの場所に来たと書いてあるそうです。会長はお大師さんの影が印刷された紙を持ってきていて(同行二人だ)って言ってました。ちなみに私だけ立ってお唱えしていますけど、これは場所が狭いので立っているだけです。写真を見るとまるで後ろにいる韓国人のグループを率いているように見えますが。
朝日が綺麗です。朝日に向かって合掌です。
会長はノリノリです。
なんか意味のある石らしいんですが、忘れました。
先ほどまであそこにいました。下りは楽です。先ほどまで一緒にいた警察官とはお経をお唱えした場所でお別れしました。添乗員さんが100ルピーチップを渡したらかなりご機嫌でした。
この後バスで1分位移動してJIVAKAの遺跡へ移動。ここは釈尊も使っていた病院の跡だったと思います。
この跡ビンビサーラの牢獄に向かいます。ここも前の遺跡からバスに乗って1分位の所にあります。ものすごくひつこい物売りが先ほどの霊鷲山のふもとからバイクに乗って数珠を売りつけてきます。ずっと付きまとってくるので英語で「あなたと話したくない」と言ったら、「なぜ買ってくれない」と日本語で言ってきます。答えは簡単で必要ないからです。と心の中で思ったのですがこういう場合は(無視)に限ります。大概の日本人はここまで付きまとわれると買ってしまうんでしょうが必要ないなら絶対買わない方がいいです。後々訪れる日本人の為に。このビンビサーラの牢獄はビンビサーラ王が自分の息子であるアジャセ王に閉じこめられ餓死した場所です。いきさつは簡単に説明すると、ビンビサーラ王はなかなか子供に恵まれず、王は子供がいないことを占い師に相談すると、山中に仙人がおり、三年後に命終えて王子に生まれ変わるといわれました。三年が待ちきれない王は仙人を殺してしまうが、仙人は死に際に「王は私を殺したのだから、私も王の子となって王を殺そう」と言い残します。
そして、王妃が身ごもったことを知ったビンビサーラ王が再び占い師に相談すると、「この子は大きくなると王であるあなたを殺すことになろう」と予言されます。迷った王と王妃は、出産の際、高楼の上から地に産み落として死なせることにしました。ところが子供は地に堕ちても小指を損なっただけで命に別状はなかったのです。大人になったアジャセ王は王座を父から奪い父を牢獄に閉じこめて餓死させようとするのですが、いつまでたっても餓死する様子はありません。なぜなら、王妃ヴァイデーヒー(韋提希)が自らの身体に食べ物を塗り込むなどして、牢獄の王に食物を与えていたのです。これを知ったアジャータシャトルは夫人が牢獄に入ることを禁じます。牢獄に立ち入れなくなって1週間後にビンビサーラ王は亡くなったそうです。長い話になりましたがこんな場所です。
この後ホテルに戻って朝食です。
ホテルはこんな感じの所です。Wi-Fi環境がありますが有料です。1時間110ルピー、2時間だと200ルピー、1日で550ルピーでした。和室と洋室があり、私は和室を選んだんですがめちゃくちゃ蚊に襲われました。
部屋の前に子供の遊べるような場所がありました。
部屋から見えた景色。
朝食をいただいた後、バスで5分位の所にあるアジャータシャトルストゥーパへ。
60年前位前に土葬されたイスラム教徒のお墓がありました。ここのストゥーパちょっと小高いところにあるし、60年前にここが大切な場所だって解らなかっただろうし、しょうが無いですよね。
ここでも舎利らいをお唱えしました。
この後アジャータシャトルストゥーパから歩いて5分ぐらいの所にある竹林精舎へ向かいました。
この竹林精舎はマガタ国の王であるビンビサーラ王が釈尊に寄進した仏教世界最古の寺院跡です。
ここには以前は竹が生えてなかったそうなんですが、竹林精舎に竹が無いのはおかしいって事で日本人が植えたそうです。
その後竹林精舎から歩いて5分ぐらいの所のある温泉精舎へ。ここはインドの天然温泉です。庶民の方々がお風呂に入ったり、洗濯物を洗ったりしています。
この場所でお湯をコップに入れて手にかけてきてくれる人がいますが、あとで高額なチップを請求されますので絶対に受けないでくださいね。私は自分で手にお湯を少しかけました。
ここは混浴です。お湯の色が大変な事になってます。さすがにここでお風呂に入る気にはなりません。
温泉精舎の階段を上りつづけて第一結集の行われた場所に向かいます。今日は朝から運動会状態です。温泉精舎から30分以上登りずらい階段を上って向かいます。途中猿がいました。決して触ったりちょっかいを出してはいけません。病院行きになります。階段を上っていると何カ所かでペットボトルの水が売っていますが、このペットボトルの水は使い古されたペットボトルに適当な水を入れられている物ですから、のどが渇いても買ってはだめです。前もって水は用意しておきましょう。
やっと第一回目の結集が行われた洞窟の前に着きました。第一回目の結集(けつじゅう)は紀元前477年に約500名の人が集まり行われました。結集とは釈尊の話した内容を忘れない為、釈尊と関係のある人が集まり釈尊の話した内容を葉っぱに書いた所です。つまりお経のできたところです。
さて第一結集の地でお経をお唱えして温泉精舎に戻ります。下りは登りより楽ですが、足に結構負担がかかります。下っていると何カ所かでお金を下さいと言ってる人が器を持って座ってますが、私はあげてませんが、あげたとしてもお礼の一つも言われませんよ。ちなみにこの場所も山賊が出るそうなのでなるべく団体行動してた方がいいですよ。
温泉精舎を後にします。相変わらずすごい人です。
温泉精舎のふもとにはいろんなお店があります。小さな子供が店番をちゃんとしてましたよ。
ホテルまで歩くとちょっと距離があるので馬車に乗りました。この馬車は観光用では無く、完全に庶民の足です。
ホテルに戻り40分位部屋で休憩して昼食です。その後チェックアウトです。お昼はうどんでした。
お昼をいただいた後バスで5分位の所にある日本山妙法寺に行きました。このお寺は日蓮宗が建てたお寺です。住職さんは日本人の尼さんでこの地に来て30年以上経つそうです。日蓮宗が普段どんなお経をお唱えするか解らないんですが、気は心ってことでとりあえず般若心経をお唱えしました。住職さん日本人が来てくれた事が本当にうれしそうでした。ミャンマーのお菓子とお茶を出してくれました。
その後バスで移動してナーランダ大学跡に向かいました。日本山妙法寺から15分位かかったかな。
レンガに猫の足跡です。
その後時間に少し余裕があったのでまた寄り道です。戦車の轍跡を見に行きました。これはビンビサーラ王の時代、象に戦車を引かせた跡がくっきり残ってる場所です。当時では珍しく車輪に鉄が巻いてあったみたいです。
その後通り道だったのでちょっと寄り道をして王舎城の城壁跡を見に行きました。
城壁跡を見てるとインドらしい車が通過です。
その後前正覚山の留影窟を目指します。ここは釈尊が6年間苦行をした場所です。バスを降りるとここでも山登りでした。だいたい10分位登ったかな。ここでも子供が10ルピーと言って近づいてきます。中には私の背中を押して山登りを手伝ってくれる子もいますよ。
洞窟内は非常に狭く暗いです。中にはガリガリに痩せ血管の浮きだった釈尊像があります。ちなみにここは夕方の5時までに入らないと閉まってしまいます。私たちは時間ぎりぎりでした。洞窟を出るとちょうど夕暮れ時でした。前正覚山から見える夕日です。
その後ホテルに向かい夕食。
これはインドのお菓子です。町中で結構見かけることができたお菓子なんですが初めて食べることができました。味は砂糖をかりかりに揚げたような物です。とりあえず半端なく甘いです。
夕食をいただいた後、明日も訪れる世界遺産の大菩提寺に行きました。夜の大菩提寺はライトアップされ綺麗です。
その後ホテルに戻り就寝です。今日は本当に長い一日でした。体も筋肉痛です。