ガンジス川での沐浴風景。インドでマック食べました。地獄の夜行寝台列車

今日の朝も早い。早朝ガンジス川の沐浴風景を見にバスで移動。途中から歩きです。だいたい10分ちょっと歩いたかな。 歩いている途中にガンジス川の水を持って帰る為の容器が売ってました。ガンジス川の水を持って帰るときには決まり事があるらしい。それは一回汲んだガンジス川の水は家に着くまで地面に置いてはいけないとのことです。 ガンジス川の川岸に着きました。ここでガンジス川にお供えする花を買いました。確か10ルピーです。 船に乗ります。 船から見た景色。 お供え物に火をつけて川に流します。 洗濯をしている人がいました。洗濯を仕事にしている人の事をカーストでは「ドビー」と言います。しかしこの頃家庭でも洗濯機が普及し始めてドビーも生活が大変になってきたみたいです。 沐浴をしてる人々。寒くないのでしょうか 朝日が昇ってきました。 竹でできてます。 煙が出ている所は火葬場で、1日200体ほど火葬するそうです。24時間営業で、段々畑のようになってて、確か3段あったと思います。たぶん一回で20人位火葬できると思います。 一回の火葬で使用する薪の量は300㎏です。約3時間かけてゆっくり焼きます。日本と違い骨はあまり残さないように焼き、焼き終わってでた灰はガンジス川に流します。火葬する前に遺体の口にガンジス川の水を口に含ませてから火葬します。火葬で使う火は聖なる火を使うとの事。長男が点火します。薪の価格は300㎏で1500ルピー(日本円で3000円位でしょうか)インド人の平均月収は3万円位ですから、結構高価な物です。お金のない人は半焼きにして川に流したり、そのまま焼かずに流す人もいるみたい。7才までの子供は火葬しないで布にくるんでそのまま川に流します。自殺した人の遺体も石ころをくっつけて川にそのまま沈めるそうです。 細い路地を少し歩いて自転車タクシーに乗ってバスに向かいます。 ホテルに戻り朝食をいただきました。インド料理かコンチネンタルブレックファーストか選択できたんですが、さっさと食べれるコンチネンタルブレックファーストをみんなでいただきました。 朝食後スリランカの仏教教団マハボディソサエティによって建立されたムラガンダクーティ寺院に向かいます。 ここのお寺の壁画がとても良かったです。釈尊の生涯が描かれていて、とても解りやすかったです。 みんなでお経をお唱えします。 その後Dharmarajika Stupa(ダルマラージストゥーパ)基壇後に向かいます。 ここは釈尊が初めて説法をした初転法輪の地サルナートの中でもここの場所が初転法輪の場所とされている。写真奥にレンガが平らになっている場所がありますが、ここは以前はレンガがちゃんと盛られていました。しかし18世紀にベナレス藩王が市場を作るのに大量のレンガが必要となりここのレンガを使用。その際頂上から約9メートル掘った所から舎利が出没したらしいのですが、ヒンドゥー教徒だった藩王はヒンドゥー教徒の習わしに沿い舎利をガンジス川に流したそうです。 近くにアショカピラーもありました。 その後歩いてすぐの所にあるダメークストゥーパに移動。ここは6世紀グプタ王朝期に造営された巨大なストゥーパです。 その後サルナート博物館に行きました。ここは写真撮影禁止。カメラや携帯電話等は持ち込み禁止です。持ち込めるのは貴重品のみ。金属探知機にも通されます。正面の入り口を入って左側が仏教関連。右側はヒンドゥー教関連の物が展示されています。もちろん僕たちは仏教関連を中心に見ました。ここの博物館展示物がむき出しに展示されている物も多く直接触っていいのか解りませんが結構展示物を触っている人がいました。注意される事はありませんでしたが、私は触りませんでした。 その後迎仏塔Chaukhandi Stupa(チャウカンディストゥーパ)にバスで移動。博物館のすぐそばです。 ここは成道した釈尊がサルナートに着いた時、友人だった5人の修行僧が釈尊をお迎えした所に建つストゥーパです。以前は土饅頭のように土でおおわれていたらしいが発掘されたみたい。頂上にある八角形の建物はムガル朝期のアクバル帝が父であるフマユーン帝のサルナート訪問を記念して1588年に建てられた物です。 その後昼食を食べにレストランへ。 このレストランはかなり本格的なインド料理を提供してくれます。本当はこのような銀の器にカレーがそのままよそわれますが、ここは小さい銀の器に小分けにしてくれてます。カレーはかなり辛かったです。 ここでビーエス観光の中村さんとはお別れです。昼食後はツアーに付きもののシルクのお店やら大理石のお店に行く事に。私は地元の人が買いに来る衣料品店で子供のパンジャミスーツを買いました。お店の人がチャイをご馳走してくれたんですが、このチャイを飲んだ5分後位にもの凄くお腹の調子が大変な事に。確かにチャイを飲んだときに舌の痺れと酸味を感じたんですがこんな物なのかなと思ったらただ単にやばいチャイだったんですね。このチャイで私と三木会長が近くのお土産屋さんのトイレに直行です。写真はシルクのお店で撮った物です。 買い物も済ませ、朝も行ったガンジス川の川岸で行われる夕方のお祈り風景を見に行きました。 犬のお巡りさんならぬ牛のお巡りさんって感じでしょう。 お祈り始まる時間は6時半からです。少し時間があったのでガンジス川近くのチャイのお店でチャイを飲もうとエスコートのグプタさんが提案。非常にやな予感がしたんですが、彼曰くここのチャイはセーフティーチャイとの事。確かに大丈夫だったのですが、先ほどのチャイの影響がまだ残っておりこのガンジス川の夕方のお祈りはきつかったです。 一度使った器は捨てます。以前見に行った器の工場と同じ物がだいたい使われています。 お祈りの場所に到着です。すごい人でした。 バラモン登場。ここでお祈りする人は近くの宗教学校の学生さんだそうです。カーストは一番上のバラモン階級の人が行うそう。かなりのイケメンさんでしたよ。 お祈りを途中で切り上げ夕食を食べにマクドナルドへ行きました。 お店に入る前に金属探知機を通ります。外国人は金属探知機がなっても何もチェックなしですが、インド人の人はチェックを受けていました。インド人でも服装の汚い感じの人は入店できない雰囲気でした。 ここのデパート結構おしゃれでした。上りエスカレーターしか無く下りは階段で下ります。トイレは綺麗でしたが個室は水がビチョビチョで汚かったです。トイレにはお付きの人がいます。水道の水を出してくれたりします。サービスを受けたら10ルピー位あげれば十分です。 マックに到着。お店の雰囲気は日本とほぼ変わりません。 メニューは大きく分けて3種類。ベジタリアン、チキン。フィッシュの三種類です。牛と豚を使った物はありません。 これがベジタリアン用マックです。肉類が一切入ってない物には緑の日の丸のようなマークがついてます。 肉類の入ってる物には赤い日の丸のような模様がついてます。 このベジマック結構おいしかったですよ。日本にもあるといいですね。 その後駅に向かいます。私たちの乗る予定だった電車が最初6時間遅れだと聞いてたんですが最終的には10時間遅れとのこと。これはインドでは当たり前です。と言うことで一本前の電車に乗る事に。もちろんこの電車も当初の到着時間を遙かに遅れて到着です。荷物を運ぶ人に荷物をホームまで運んで貰います。 列車が入ってきました。 当初1等車に乗る予定だったんですが、電車を変えた為、2等車を2席、3等車を4席に変更になりました。理解できなかったのがインド人のエスコートのグプタさんがなぜか2等車を当たり前のように使用してた事です。 寝台車は1BOX6人が使用します。ベットは3段ベットになっています。私は2段目を選択したんですが起き上がると上のベットに頭をぶつかる狭さ結局全然寝られませんでした。

31才の誕生日はインドで。今日はブダガヤから列車でベナレスへ

今日は私の31才の誕生日です。起床も6時30分とこのたびで一番のんびり起床です。ホテルで朝食をのんびりいただきました。カレーは無かったです。 ホテルの雰囲気とお部屋はこんな感じです。ここもWi-Fi環境がありました。一日200ルピーです。 ちゃんとちょっと拝める施設もありました。 ここのホテルも部屋にトイレが2つありました。 部屋から見える景色 部屋には停電時用のローソクとマッチがありました。 こうゆうお茶類が置いてあるとちゃんとしたホテルっぽいですよね。 朝食後バスで昨日も行った大菩提寺に向かいます。 世界遺産の大菩提寺に到着です。カメラの持ち込み料は20ルピーです。ビデオカメラはもうちょっと高かったですが値段を忘れてしまいました。入り口で靴を預け裸足で入ります。靴下は履いたままでも大丈夫ですが濡れているとこもあるので裸足がおすすめです。塔の手前で金属探知機を通らなくてはなりませんがピーピー鳴ってても何もチェックはありませんでした。入場料は無料です。 この大菩提寺はイスラム教の人間に破壊されないために最近まで土を盛ってお寺全体を小高い山のようにして守っていました。なので綺麗な形で残っているし、お寺がちょっと地面より低い位置にあるように見えるんです。 なにげなくあるこの塀もかなり古い物らしいです。 お寺の中は「お静かに」と書いてあるので中でお経を声に出してお唱えすることはできませんが金剛宝座の所では声に出してお経をお唱えして大丈夫です。 金剛宝座の所までやってきました。先ほどの塔の真裏にあります。ここには立派な菩提樹の木があります。釈尊はこの木下で成道しました。ちなみにこの菩提樹は釈尊が成道した時の菩提樹の3代目(孫)になります。 違う角度から 仏足石です。ケースに入っててあまり綺麗に撮れませんでした。 これが金剛宝座です。ここで釈尊は成道しました。以前はこんなに厳重に金剛宝座も仏足石も策やケースにに囲われていなかったらしいんですが、東京拘置所にいる松本ナンとかが金剛宝座に座ってからこんな風になっちゃたそうです。 別の角度から みんなでお勤めです。 アショカピラーもありました。 ここが釈尊が成道直前に沐浴した尼蓮禅河です。 大菩提寺を後にし、スジャータの村を目指しますが、ちょっと寄り道をして何という川だか忘れましたがとりあえずガンジス川でない川を見に行きました。雨期でないと水は流れていません。辺り一面人糞だらけでした。 スジャータの村に到着しました。ここは釈尊が苦行をし、ガリガリになってた釈尊に尼蓮禅河の対岸に所在し成道前の釈尊に村の娘より乳粥の供養を受けた場所です。 この村では学校を建てるお金を下さいと言ってくる人がたくさんいます。本当にその為に使われるかは、かなり疑問を感じました。 子供たちが遊んでました。 うっすらと昨日行った前正覚山が見えました。 麦畑を7分ほど歩いた所にある釈尊と娘の像を見に行きました。 娘と釈尊の像の近くで女性たちが髪を洗ってる風景と牛の糞を手で薄くのばして燃料を作っている光景。 お昼を食べにホテルに戻ります。お昼はカレーを選択。 その後バスに乗ってガヤ駅に向かいます。バスの運転手さんとアシスタントの方とは駅でお別れです。 駅に到着。駅前に郵便局とポストがありました。 駅の雰囲気はこんな感じです。 汽車が入ってきました。 冷房車の入り口には搭乗者名簿が張ってあります。 ホームには飲み水場や売店もあります。売店にはチャイも売ってますよ。 ホームにはライフルを持った警官が結構いました。汽車にはこういった警察官が同乗しています。 車内の雰囲気 藤井さんの隣はチベット人の夫婦が座っていました。デリーまで行くみたいです。15時間ぐらいの旅でしょうか。 寝台車はベットにするとこんな感じです。 一つのボックスに一つだけコンセントがありますが、日本のコンセントの形はそのままでは使えないので形を変えるプラグが必要です。 車内には食堂車があります。コロッケを買ってみました。味は結構スパイシーです。 車掌がチケットチェックに来ました。2012年2月16日より冷房車のチケットのチェックが厳しくなったそうです。身分証明書とチケットの名前が一致していないと罰金です。 途中ガンジス川より大きい川を通過。川の名前は忘れました。 二階のベットに登ってみました。インド人サイズの階段で上りにくかったです。 急行列車の(2397 MAHABODHI EXPRESS)に乗ってベナレス郊外のムガールサライ駅に到着しました。203㎞の旅で、到着したのはホームでは無く線路上で、列車が長すぎてホームが足らないみたいです。線路上を歩くときも注意が必要です。なぜなら人糞があちらこちらに落っこちているんで。 荷物運びの人に荷物をバスまで運んで貰います。ちなみに私の赤いスーツケース40㎏位あると思います。 駅の雰囲気 駅前広場です。 バスでホテルに向かい到着。 ホテルと部屋の雰囲気。バスタブはありませんでした。 夕食はホテル内のレストランで。料理を店員さんが取り分けてくれます。 サプライズ発生。皆さんがケーキを用意してくれて、ドスのきいた男だらけでハッピーバースデーの歌を歌ってくれました。 夕食後インド式スパのアイールベーダを受けにホテルから歩いて5分位の所にある施設に向かいました。確か価格は2000ルピーだったと思います。男性のお客さんは男性のがしてくれます。もちろん女性のお客さんは女性がしてくれます。これは宗教的理由からです。全裸になり温かい油を全身にかけ頭から足の裏まで揉んでくれます。 この部屋でしてくれます。 終わった後非常に体が楽になりますが、絶対にシャワーを浴びたくなります。二回体を洗っても油が残っているような感じがしました。

ほぼ一日ラジギールで過ごし夕方ブダガヤへ

今日の起床も早い。5時15分起床。まだ真っ暗いなかバスに乗って釈尊が晩年止住説法した霊鷲山を目指します。バスを降りてエスコートしてくれる警察官と一緒に20分以上暗い道を山登り。きつかったです。 なぜ警察官が同行するかというと、山賊が出没するからです。霊鷲山につくと辺りが少し明るくなってきました。ここで般若心経秘鍵をお唱えします。般若心経秘鍵の中で空海(お大師さん)夢のなかでこの場所に来たと書いてあるそうです。会長はお大師さんの影が印刷された紙を持ってきていて(同行二人だ)って言ってました。ちなみに私だけ立ってお唱えしていますけど、これは場所が狭いので立っているだけです。写真を見るとまるで後ろにいる韓国人のグループを率いているように見えますが。 朝日が綺麗です。朝日に向かって合掌です。 会長はノリノリです。 なんか意味のある石らしいんですが、忘れました。 先ほどまであそこにいました。下りは楽です。先ほどまで一緒にいた警察官とはお経をお唱えした場所でお別れしました。添乗員さんが100ルピーチップを渡したらかなりご機嫌でした。 この後バスで1分位移動してJIVAKAの遺跡へ移動。ここは釈尊も使っていた病院の跡だったと思います。 この跡ビンビサーラの牢獄に向かいます。ここも前の遺跡からバスに乗って1分位の所にあります。ものすごくひつこい物売りが先ほどの霊鷲山のふもとからバイクに乗って数珠を売りつけてきます。ずっと付きまとってくるので英語で「あなたと話したくない」と言ったら、「なぜ買ってくれない」と日本語で言ってきます。答えは簡単で必要ないからです。と心の中で思ったのですがこういう場合は(無視)に限ります。大概の日本人はここまで付きまとわれると買ってしまうんでしょうが必要ないなら絶対買わない方がいいです。後々訪れる日本人の為に。このビンビサーラの牢獄はビンビサーラ王が自分の息子であるアジャセ王に閉じこめられ餓死した場所です。いきさつは簡単に説明すると、ビンビサーラ王はなかなか子供に恵まれず、王は子供がいないことを占い師に相談すると、山中に仙人がおり、三年後に命終えて王子に生まれ変わるといわれました。三年が待ちきれない王は仙人を殺してしまうが、仙人は死に際に「王は私を殺したのだから、私も王の子となって王を殺そう」と言い残します。  そして、王妃が身ごもったことを知ったビンビサーラ王が再び占い師に相談すると、「この子は大きくなると王であるあなたを殺すことになろう」と予言されます。迷った王と王妃は、出産の際、高楼の上から地に産み落として死なせることにしました。ところが子供は地に堕ちても小指を損なっただけで命に別状はなかったのです。大人になったアジャセ王は王座を父から奪い父を牢獄に閉じこめて餓死させようとするのですが、いつまでたっても餓死する様子はありません。なぜなら、王妃ヴァイデーヒー(韋提希)が自らの身体に食べ物を塗り込むなどして、牢獄の王に食物を与えていたのです。これを知ったアジャータシャトルは夫人が牢獄に入ることを禁じます。牢獄に立ち入れなくなって1週間後にビンビサーラ王は亡くなったそうです。長い話になりましたがこんな場所です。 この後ホテルに戻って朝食です。 ホテルはこんな感じの所です。Wi-Fi環境がありますが有料です。1時間110ルピー、2時間だと200ルピー、1日で550ルピーでした。和室と洋室があり、私は和室を選んだんですがめちゃくちゃ蚊に襲われました。 部屋の前に子供の遊べるような場所がありました。 部屋から見えた景色。 朝食をいただいた後、バスで5分位の所にあるアジャータシャトルストゥーパへ。 60年前位前に土葬されたイスラム教徒のお墓がありました。ここのストゥーパちょっと小高いところにあるし、60年前にここが大切な場所だって解らなかっただろうし、しょうが無いですよね。 ここでも舎利らいをお唱えしました。 この後アジャータシャトルストゥーパから歩いて5分ぐらいの所にある竹林精舎へ向かいました。 この竹林精舎はマガタ国の王であるビンビサーラ王が釈尊に寄進した仏教世界最古の寺院跡です。 ここには以前は竹が生えてなかったそうなんですが、竹林精舎に竹が無いのはおかしいって事で日本人が植えたそうです。 その後竹林精舎から歩いて5分ぐらいの所のある温泉精舎へ。ここはインドの天然温泉です。庶民の方々がお風呂に入ったり、洗濯物を洗ったりしています。 この場所でお湯をコップに入れて手にかけてきてくれる人がいますが、あとで高額なチップを請求されますので絶対に受けないでくださいね。私は自分で手にお湯を少しかけました。 ここは混浴です。お湯の色が大変な事になってます。さすがにここでお風呂に入る気にはなりません。 温泉精舎の階段を上りつづけて第一結集の行われた場所に向かいます。今日は朝から運動会状態です。温泉精舎から30分以上登りずらい階段を上って向かいます。途中猿がいました。決して触ったりちょっかいを出してはいけません。病院行きになります。階段を上っていると何カ所かでペットボトルの水が売っていますが、このペットボトルの水は使い古されたペットボトルに適当な水を入れられている物ですから、のどが渇いても買ってはだめです。前もって水は用意しておきましょう。 やっと第一回目の結集が行われた洞窟の前に着きました。第一回目の結集(けつじゅう)は紀元前477年に約500名の人が集まり行われました。結集とは釈尊の話した内容を忘れない為、釈尊と関係のある人が集まり釈尊の話した内容を葉っぱに書いた所です。つまりお経のできたところです。 さて第一結集の地でお経をお唱えして温泉精舎に戻ります。下りは登りより楽ですが、足に結構負担がかかります。下っていると何カ所かでお金を下さいと言ってる人が器を持って座ってますが、私はあげてませんが、あげたとしてもお礼の一つも言われませんよ。ちなみにこの場所も山賊が出るそうなのでなるべく団体行動してた方がいいですよ。 温泉精舎を後にします。相変わらずすごい人です。 温泉精舎のふもとにはいろんなお店があります。小さな子供が店番をちゃんとしてましたよ。 ホテルまで歩くとちょっと距離があるので馬車に乗りました。この馬車は観光用では無く、完全に庶民の足です。 ホテルに戻り40分位部屋で休憩して昼食です。その後チェックアウトです。お昼はうどんでした。 お昼をいただいた後バスで5分位の所にある日本山妙法寺に行きました。このお寺は日蓮宗が建てたお寺です。住職さんは日本人の尼さんでこの地に来て30年以上経つそうです。日蓮宗が普段どんなお経をお唱えするか解らないんですが、気は心ってことでとりあえず般若心経をお唱えしました。住職さん日本人が来てくれた事が本当にうれしそうでした。ミャンマーのお菓子とお茶を出してくれました。 その後バスで移動してナーランダ大学跡に向かいました。日本山妙法寺から15分位かかったかな。 レンガに猫の足跡です。 その後時間に少し余裕があったのでまた寄り道です。戦車の轍跡を見に行きました。これはビンビサーラ王の時代、象に戦車を引かせた跡がくっきり残ってる場所です。当時では珍しく車輪に鉄が巻いてあったみたいです。 その後通り道だったのでちょっと寄り道をして王舎城の城壁跡を見に行きました。 城壁跡を見てるとインドらしい車が通過です。 その後前正覚山の留影窟を目指します。ここは釈尊が6年間苦行をした場所です。バスを降りるとここでも山登りでした。だいたい10分位登ったかな。ここでも子供が10ルピーと言って近づいてきます。中には私の背中を押して山登りを手伝ってくれる子もいますよ。 洞窟内は非常に狭く暗いです。中にはガリガリに痩せ血管の浮きだった釈尊像があります。ちなみにここは夕方の5時までに入らないと閉まってしまいます。私たちは時間ぎりぎりでした。洞窟を出るとちょうど夕暮れ時でした。前正覚山から見える夕日です。 その後ホテルに向かい夕食。 これはインドのお菓子です。町中で結構見かけることができたお菓子なんですが初めて食べることができました。味は砂糖をかりかりに揚げたような物です。とりあえず半端なく甘いです。 夕食をいただいた後、明日も訪れる世界遺産の大菩提寺に行きました。夜の大菩提寺はライトアップされ綺麗です。 その後ホテルに戻り就寝です。今日は本当に長い一日でした。体も筋肉痛です。

今日はこの旅で最高の350㎞の移動。ラジギールへ向かいます。

朝になりました。今日はクシナガラからラジギールに向かいます。移動距離350㎞です。日本で350㎞だったら大したことないですが、ここはインドです。朝日が昇ってきました。 朝食はホテルでビュッフェスタイルでいただきます。あさからカレーを選択。 さて移動です。途中トイレ休憩の為よった場所からパシャリ。今のところ道路の環境がいいです。2車線道路です。日本で言うと環状線みたいな車線ですが、相変わらず逆送してくる車や、道に山羊等が平然と歩いています。 途中発掘されたばかりのストゥーパに寄り道。 会長と一緒に記念撮影。 裏側半分はまだ未発掘みたいです。 インド人の子がいたので一緒に記念撮影。 ロバもいました。ちなみにインドの人はガンジス川の本来の火葬場の対岸で火葬すると来世はロバになると信じています。 ストゥーパの横の池で洗濯をする人。 途中本日の昼食会場でトイレ休憩。 トイレ休憩後、猿の王が釈尊にマンゴ蜜を奉納した地であるバイシャリに向かいました。 バスを降りて歩いて5分ぐらいで到着。途中山羊の出産を見ることができました。 ここは本当に立派なアショカピラーがありました。 その後バスで10分位移動したところにある、リリック・ストゥーパに移動。ここはドローナ仙人による舎利の8大分骨の際に最初に仏舎利が納められた場所です。 その後先ほどトイレ休憩で使ったホテルで昼食。昼食もカレーです。服にカレーが跳ねてしまいました。 そして移動です。途中初めてガンジス川を見ました。 途中また寄り道をして別のアショカピラーを見に行きました。 この柵の外にある石、どう見てもアショカピラーの残骸なんですけどこんな扱いでいいのかな? この公園は綺麗な花が結構咲いていました。 インド人のカップルが結構いました。いいデートスポットの様です。 さて移動です。途中ネパールやインドでよく使われている、使い捨てのコップを焼いている地域を通ったのでまた寄り道。おじさんが粘土をこねて一つ一つ手作りでコップを作っていきます。 それを道で乾かします。 乾いた物を綺麗に並べて焼いてできあがり。 いつの間にか大勢の人が集まってました。 途中ガンジス川のすぐそばにあるガソリンスタンドで給油。給油をしている間ガンジス川の辺まで行ってみました。 あまり綺麗に写っていませんが、女性が髪を洗っていました。 レンガの工場もありました。 そして移動。しばらく走り時刻も4時過ぎです。途中サービスエリア兼モーテルでトイレ&チャイ休憩。 あたりも大分暗くなり走っていると靴屋を発見。一緒に旅をしている大瀧さんの靴が壊れていたので立ち寄りました。ここの靴やすべてハンドメードです。大瀧さんは安くて履きやすい靴に大満足してました。 そしてやっとホテルに到着。時刻は7時過ぎだったと思います。ついてすぐに夕食です。 日本食です。 後から暖かい天ぷらも出てきました。 部屋につき就寝。寝てる間に蚊にめちゃくちゃ刺されました。

本日はクシナガラに向かいます。

朝になりました。朝食は同じくビュッフェスタイル。カレーにしました。 バスに乗り込前。朝日綺麗でした。細長い煙突は煉瓦(レンガ)工場の煙突です。インドはあちこちにレンガ工場があります。 出発してすぐにトイレ休憩をお願いしました。道が悪く振動ですぐにトイレに行きたくなります。 サトウキビ畑に囲まれている場所です。小はは道ばたでします。もし大がしたくなったらこういったサトウキビ畑の中でしなくてはなりません。ちなみにインド人の男性は堂々と道ばたで大をしてる光景を見れます。インド人の女性はさすがに隠れてするみたい。 このレンガに囲まれてるものは街路樹です。街路樹を植えてもすぐに牛等に食べら得れてしまうので保護するためにレンガで囲ってあります。ちなみに世界で初めて街路樹を作ったのはインドだそうです。 またしばらく走ってトイレ休憩です。トイレ休憩をしていると三輪車が走ってきました。これは乗り合いバスみたいなものです。10ルピー位から乗れます。写真の三輪車はあまり乗っていませんが、こんな三輪車に15人ぐらい乗ってる光景をよく見ます。 バスに乗っていると荷台に大量に人を乗せ爆音の音楽を鳴らしながら走っているトラクター発見。なんかインドっぽいでしょう。 昼食はHotel Clarks Inn Grandでいただきました。ここもビュッフェスタイルです。カレーを選択。ナンもありますよ。 昼食の後クシナガラの大涅槃寺に向かいます。 大涅槃寺に到着しました。お寺の前にはサラの木が二本立っています。二本立っているので沙羅双樹と言われています。 堂内はあまり大きくありません。みんなでお勤めしました。 釈尊が涅槃に入ったことを悲しむ弟子の姿です。 お寺の裏には舎利の安置されているストゥーパがあります。 お寺の前で記念撮影。インドではまだiPadは珍しく、iPadを使って写真とっていると人が集まってきます。 その後大涅槃寺から歩いて3分位の所にある釈尊最後の説法の地をお参り。この辺で私のお腹の調子があまりよくなくなってきました。添乗員さんに話したところ、少し昼食を食べ過ぎたみたいです。インドは使っている油が日本と違うのでちょっと食べ過ぎると下痢気味になります。 その後一度本日宿泊するホテルでトイレ休憩をした後、釈尊を荼毘したラマバル・ストゥーパ(荼毘塚)へ移動。釈尊最後の説法の地からバスでだいたい2分ぐらいでした。 ここで日本から持ってきたお線香を使って、みんなで(舎利らい)と言うお経をお唱えしました。 私の持ってきたお線香が炎上です。他の人の付け火として使われていました。 その後釈尊が施しを受けた場所に移動。釈尊はここで施しを受けた物で食あたりをして亡くなったと言われています。施しを受けた場所までは途中まではバスで、その後は7分ほど徒歩で移動です。地元民の商店街を抜けていきます。 さて到着です。雰囲気はこんな感じです。ここはただ見学だけしました。 さてバスに戻ります。せっかくなので少し商店街をぶらつきました。インドの子供です。 インドではまだ足踏みミシンが大活躍です。結構町中でこうゆう仕立屋さんを見かけます。 結婚式の道具を売っている店です。 なんかの食べ物を売っている店のご主人。快く写真を撮らせてくれました。 ここは肉屋さんです。山羊の肉や鶏肉を売っています。基本的にインドの80%の人がヒンドゥー教徒です。その中でも80%の人がベジタリアン(菜食主義者)なんです。肉食をしている人も基本的には宗教上の理由で火曜日と土曜日は肉を一切食べないそうです。特に火曜日は。 この後この鶏ちゃんは30秒後には足をピクピクさせていました。捕まって檻から出る際、冗談ではなく英語の(help)って鳴いてるように聞こえました。山羊は絶対見たくないです。 ちょっと血の気が引いてる自分。 さてバスで本日のホテルに向かいます。途中夕日が綺麗でした。インドでは日本ではなかなか見れない本当に綺麗な朝日と夕日が見れます。 ホテルに到着。 ロビーにいると突然停電です。ネパールほどではないですがインドもよく停電します。 ロビーはこんな感じです。 ちゃんとちょっと拝める場所もありましたよ。 部屋の雰囲気です。ここはWi-Fi環境はありません。コンセントも特殊で三つ口のソケットが無いと安全装置が働きコンセントに指すこともできません。結構水の流れる音がうるさくこの日の夜はなんかお祭りをやっているみたいで11時位まで爆音が聞こえてきました。 部屋から見える風景 部屋にトイレが2つありました。 夕食はビュッフェスタイルで鍋付きです。この鍋本当においしかったです。 ミルク粥です。ほんのり甘いデザートです。

ネパールからインドへ徒歩で国境越え

朝になり、朝食をいただくため部屋を出るとものすごい霧です。朝食はおかゆでした。 ナプキン置きにベイビー仏陀がついてました。かわいいでしょう。 朝食をいただいた後バスでネパールとインドの国境を目指します。だいたいバスで20分位でホテルから国境につきます。 国境に到着。奥に見えるのがインド側の国境です。 ネパールの国境事務所です。ここで出国手続きをします。ちなみに本人がいなくても手続き可能。代表者が全員分のパスポートを持って手続きをしてくれました。 出国のスタンプをもらいました。 インド側から見たネパールの国境の門です。 ここがネパールとインドの中間。牛も国境を越えてます。ちなみにネパール人とインド人は何も手続きをしないで国境の行き来ができます。 インドの国境の門です。みんなで歩いてインドに向かいます。 インドのイミグレーションです。ここは朝の7時から夜の9時位まであいてるみたいです。インド側も代表者が全員分のパスポートを持って手続きが可能でした。インドは観光でもビザが必要です。日本で前もって手続きを済ましておく必要があります。 国境にはいろんなお店があります。ここで私は子供のパンジャミスーツ(インドの伝統的な服)を買いました。 国境でゴミを燃やして暖をとる人発見。燻製状態です。 インド人の家族がチャイを飲んでました。インドではあちこちでチャイが気軽に飲めます。だいたい5ルピーぐらいから飲めました。日本円にすると10円以下です。